マインド

私たちの会社の名前は、
アメリカの西部開拓時代に生きた、ジョニーアップルシードと呼ばれた男性ジョン・チャップマン(1774-1845)の精神を持ち続けたいという想いから「アップルシード」としました。

アップルシード物語

むかーしむかし、「ジョン・チャップマン」という男がいました。
「ぼくは リンゴが 大好きなんだな」
そういっては、アメリカの中東部を歩きまわり、道行く開拓者たちにリンゴの種子や苗木を配っていました。
そこで、人々は彼のことを、「ジョニー・アップルシード」と呼びました。
ジョニーはマサチューセッツ州のレオミンスターという町で生まれました。ジョニーは生まれて間もないのに、近くにあったリンゴの花がさく枝に手を伸ばし、たわむれていたそうです。ジョニーはまさしくリンゴの精の生まれ変わりでした。
「リンゴは とっても おいしいんだな」
「みんなにも それを 知ってほしいんだな」
ジョニーは立派な青年になると、アメリカ中の人々にリンゴのすばらしさを伝えたいと思い、頭にナベをかぶり、麻袋に穴をあけたものを着こみ、わずかな生活用品と、聖書と、リンゴの種子をいっぱいに積みこんだ2隻のカヌーとともに旅にでました。
リンゴはみずみずしく、甘い香りがします。みんなリンゴが大好きです。その上、リンゴは荒野でも育てやすく、干したり乾燥させれば一年中食べられるというスグレもの。この頃はアメリカ開拓時代でした。新しい土地を求めてみんな西へ西へと向かいます。そんな彼らにまさにうってつけの果物でした。
でも、開拓者たちは常に旅をしています。そのため、せっかくのリンゴの樹も持っていくことができません。そこで、ジョニーは言いました。
「この苗木を 育てると いいんだな」
「すぐに おいしいリンゴが なるんだな」
見返りも求めず、親切にもリンゴの苗木を差し出すジョニーを、開拓者たちはとっても感謝しました。
ジョニーは、川を、山を、荒野を、森を何もはかずにはだしで歩きます。そのため足はいつもキズだらけでした。でも、痛さも苦にせず歩きつづけます。荒野には白人をおそうインディアンがいます。彼らは自分たちの土地をうばう白人がとっても憎いのです。しかし、ジョニーは彼らにこう言いました。
「ぼくは 神様の使命で リンゴの樹を植えているんだな」
「神様は みんなに リンゴを食べてほしいんだな」
ジョニーの純粋な信仰心と、情熱に、心をうばわれたインディアンたちは、ジョニーをとっても尊敬しました。
ジョニーは、リンゴの種子とともに、いつも聖書を持っていました。そして、出会う人々に聖書のお話をしました。
とりわけ、ジョニーはスウェーデンボルグというスウェーデンのえらい聖職者のお話をしました。
「神様は いつでも みんなの中に いるんだな」
「聖書には 神様の 深い愛と 知恵が 書いてあるんだな」
ジョニーはその教えに忠実にしたがい、自然を誰よりも愛し、決して生き物を殺したりしませんでした。
ジョニーのリンゴの樹を植える旅はかれこれ40年以上になりました。夏の暑さにも耐え、冬の寒さにもがまんし、過酷な労働にも不平ひとつ言わず、開拓者たちにも、インディアンたちにも、分けへだてなく無償の愛を贈りつづけました。
そして、ある夏の日、インディアナ州のフォートウェインという町の、とある入植者の家族に迎えられたジョニーは、いつものようにその家族と聖書のおはなしをした後、夕食とベッドをすすめられるのをことわり、玄関先で、降りそそぐ星空と月の光を浴びながら寝ました。
「ぼくの 使命は これで 終わりなんだな」
「神様が ぼくを 迎えに来たんだな」
次の日、ジョニーは玄関先であたたかい笑顔を浮かべながら冷たくなっていました。
ジョニーの仕事はこれで終わりましたが、ジョニーの植えたリンゴの果樹園は、彼が死んだ後も開拓者たちによって植樹されつづけ、25,600ヘクタール(260,000平方㎞)になり、今でも甘い香りのリンゴを実らせているそうです 。

大切にしたい想い

この「ジョニーアップルシード物語」は、今でもアメリカ西部開拓時代の民話として語り継がれています。また、ジョニーチャップマンの地道な功績をたたえて、毎年「アップルシードフェスティバル」が開催されています。
私たちは、広報支援という仕事を通じて、社会に「想い」の種をまき続けたいと思っています。
その種が、芽生え、地域に根をはり、大きく育ち、やがて豊かな実りをもたらすことを信じて…。